つちやみきコラム
19 08 23 Fri

Vol.30「人の感覚を共有できるのか?」

感覚のセミナーにおいては、感覚の曖昧さを説明するところから始まります。

そう、感覚には絶対的なものがなく

 

「暑いな、この部屋。え?私だけ?更年期?」

「あの壁の色、ピンクだよね。え?白?」

「あの人、かっこいいよね。大好き。え?私だけ?」

 

よくあります。例えば、物理学の世界でも“光には色がない”“色は人間から離れて存在することはない”という有名な話があります。だから人によって違う色に見えているのに、概念で「青色」を青色と決めつけられている可能性もあるのです。本当の色は誰にもわからないと言われています。

 

感覚は完全に孤独なのです。

 

こんなに人類で色々な解明が進んでいるのに、感覚(脳)に関しては「共有」が難しいのです。脳と脳は接続できないからです。研究は進んでいるようですが、他人の感覚(脳)を完全に共有するのはまだまだ難しいですね、きっと。

だからトレーナーがクライアントに説明している動きの感覚も、半分くらいしかわかっていない可能性が高いですよね。上手いトレーナーは、説明や指導よりどんどん動かしてクライアント自身が感覚をつかむのを待っているように思います。

 

こんなにわからないことだらけの感覚を人は何故、他の人に「わかってほしい」と強く要求するのでしょうか。わかってもらってどうしようというのでしょうか。

誤解されたら嫌なのはわかります。でも、私はそれでいいかな、とも思います。

 

自分が密かに大変な思いをして、でも自分の物差しでは結果が出て、それを他人が評価しないところでどうでもいいのです。私は満足です。だって、私の感覚なんてわかるわけがないですから。

 

「私のことをもっとわかってよ!」と無駄に叫んでいるあなた。ちょっと聞いてくださいね。

理性的な思考をする上では、何かの結果を出すとか、自分がどれだけ頑張っているとか、自分ばかり損をしているとかよりも、可能な限りバイアスのないものの見方をした方が得です。

 

バイアスとは言わば「偏り」のこと。

これをしたから認めてもらえて当然。こんなに頑張ったのだから誉めてもらえて当然。

それは人からの評価だけで生きている人生です。

 

自由に自分のすべきことを一生懸命やることで「ああ、やっているな」と人の心に残るわけです。これは、難しい感覚ではなく「事実」なのです。事実は、感覚ではなく事実として残るわけです。アピールして評価されようとするから「私はこんなに頑張っているのに」という感覚が生まれるのです。その感覚は、他の人の行動にバイアスをかけることにつながるのです。

 

他人の感覚や気持ちを100%わかってあげられなくても、人のために一生懸命動くことは出来るハズ。人に優しくすることは出来るハズ。