つちやみきコラム |
19 07 12 Fri
Vol.27「思いやれないあなたへ」 |
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本日、高校で性教育の授業をしてきました。性教育の授業の依頼です。人間とはなにか?というところを原点に授業しました。高校生といえば思春期ですね。カウンセラーの事例検討の時に、聴いた話しを思い出します。
ある子のお母さんは耳が聴こえません。生まれつきのことなので、言葉も上手に話せません。しかし、お母さんはその子やその子のお友達にも今まで一生懸命話しかけてきました。思春期に入ると、その母親の話し方が恥ずかしく感じるようになって、友達に話しかけるなと母親に冷たく当たるようになります。友達が来たら姿を見せるなとまで言っていました。
その子が成長し、自分も結婚し子どもを産んで、初めて母の偉大さを知ります。ずっと母に冷たく接してきたこと、自分が母として自信を持てないことから精神的不安定を起こしてしまいます。
この事例は思春期だという要素もありますが、人を思いやれない人の多くは自分のことしか考えられないところから始まります。私も母が大病をしているとき、大学院生で、自分の研究を優先していました。でも母は「学んだものは永遠になくならない、がんばれ」と励ましてくれていました。結局大学院在学中に亡くなりました。
作家、三浦綾子さんの続氷点という小説にこんなセリフが出てきます。
「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」
母のお通夜の日、私は驚きます。私の知らないたくさんの人やたくさんの若い子が来てくれたのです。当時でいうヤンキーもたくさんいました。私の母は悪の組織の親分だったのでしょうか。みんな、若い頃に叱ってもらった、お世話になったと言っていました。与えて残すというのはこのことですね。
物やお金はため込んでも、ただのソレに過ぎません。でも、自分が勉強したこと、他人のためにしたことは残り続けます。生きている間に感謝されなくとも、私の放った言葉が、いつかその人のわずかな助けになることもあるんだと思いながら真剣に人に伝えます。
私によく叱られている皆さま、もう私の魂はあなたの中にいるのです。ああ、怖いですね。嫌ですね。
どうしたらいいかって?あなたの「思いやり」をまた他の人に渡せたら、ミキ霊(ミキダマ)はいなくなります。
私たちの身体なんて、ほんの一瞬の借り物です。でも、思いはつながり続けます。
ちょっと損したくらい、どうってことないでしょう。
自分を肥やすことだけを考えず、人のことを、優しさを少しでも考えていきましょうよ、と肥えた私が言っています。さ、プリンたべて自分を思いやろう。