つちやみきコラム
19 04 05 Fri

Vol.20「努力か運か」

最近、“運動会で順位をつけずに手をつないで一緒にゴールしましょう”的なことをしている学校もありますね。その賛否は置いておいて…でも、そんなことで競争社会から逃れられることがないということも現実です。大人になって消費者側に回れば、より安くいい商品を買おうとしますよね。そこに競争社会があるから、安くていいものを売る会社が出てくるわけです。

 

結局、自分がどの立場にいるかで、都合よく変わるわけですから本当の教育とは何かよくわからないですね。そう考えると、平等という社会は存在しないわけです。みんな、ただの自分勝手…

 

人間は生まれつき、色々な「差」を持っています。お金持ちの家に生まれた人、美女に生まれた人、身体能力が高い人、それは大人になるにつれて大体気が付き始めます。そこで、どのように考えられるかで、その人の人生は変わっていきます。

18歳から25歳に不況をむかえている若者は「努力より運」という考え方の傾向になりやすいと研究者は論文を書いています。(Guiliano and Spilimbergo2014)人間の成功は、努力より運であるという価値観になるから、色々なことをあきらめやすいそうです。

 

多くの人間は、様々な勘違いをしているのではないのでしょうか、と私は思うわけです。

競争社会が悪いのではなく、「競争」のイメージは人の足の引っ張り合いの部分が多いわけです。「負けず嫌い」の考え方として、“出来なくて悔しい。もっとやろう”と考える人と“あいつに負けるのが悔しい。あいつばかりずるい”と考える人では本質が違うわけです。

 

しかし、それを理解せず教育の仕方がわからないから、褒めればいい、叱るなということが起こってしまうのです。逆も然り、厳しくすればいいという人も観点がずれていますね。

 

美女に生まれても幸せとは限りません。日本だけでも、美人市場は何十万人もいるわけです。厳しい市場で位置をキープし続けるのも、ものすごく大変です。でも市場が少ない部分は狙い目です。だから少し美人なら、鏡ばかり見ていないで勉強を頑張るとか何かの技術を身につけるとか、アイテムを増やしていけばいいのです。

 

「運」は「努力」とすぐ近くにいると感じています。

例えば、ギャンブルとするときでも私は絶対に情報と脳をフル稼働させます。そこに「勇気」があれば、賭けに勝てるのです。

これは、なんにでも通用します。しっかり勉強して情報を持ち、いざというときに「えいっ」と飛べる勇気が「勝ち」を引き寄せるのです。

時々、「勉強」のみしている人や「勇気」のみある人がいますが、両方必要ね。

 

「成功している人が運だけで来ていると思うなよ。見せないだけだぞ。

学習する努力と、飛べる勇気が生まれつきの「差」を凌駕していくのだよ。」