つちやみきコラム
19 11 01 Fri

Vol.35「世界が消えた後」

最近「この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた」という本を読みました。

 

世界に数人の生き残りだけだったら、という過程で話が進みます。大きいスーパーで毎日食べ物を調達するとして、だいたい55年間生きられるそうです。自家発電もある時代ですから、冷蔵庫や電化でコンロなども使えるかもしれませんね。私は現在47歳ですから、死ぬまで生きられますね。まあ、誰でも死ぬまでは生きられるのですが。

 

この本は大変興味深く、色々なことを考えました。

 

“豊”な暮らしって何でしょう…カウンセリングでも私の口からよく出てくるセリフです。みなさんの言う豊は「お金」についてのことが多いのですが、私にとってそれだけが“豊”ではないと考えています。それだけでは単なる「贅沢」です。(贅沢が悪いと言っているわけではありません)

 

私が「今の仕事を辞めたい」と言います。すると、「新しいことをするの?」とか「何か辞める理由があるの?」と聞く人はほとんどおらず「旦那さんが働いているからいいよね。」と返ってきます。私はその時に、大事な一食をカップ麺で済ませた程度の虚無感を覚えます。たいしたショックは受けませんが「そこかよ」と心の中で悪態をつきます。そういうことではないのです。

 

「自分に期待をすること。」

それが、豊な人生につながると思って、ワクワクしながら生きていきたいと考えているだけです。そこに結婚しているとか、していないとか、働いている女性だとか専業主婦だとか全然関係ないのです。「自分に期待、甘党党首 土屋未来です。」と選挙ポスターを作りたいくらいです。その人の環境によって差は出てきますが、本質的な話です。

 

さあ、私の愚痴はこの辺にして本の話に戻りましょう。食べるもの、着るもの、住むところ、まあ好きなように出来るその世界、死ぬまで生きられるその世界、どうでしょう。

勘のよい方はわかりましたね。病気にならない限り困ることはあまりないけれど、何かを期待しない世界です。

 

私はこの一文を読んでほほう…と思いました。

「だが、その楽園は腐りかけている・・(中略)生存者には猶予期間が与えられているに過ぎない。(中略)砂時計はひっくりかえされたのであり、砂は着実に落ちていく」

 

人をうらやむ(特にお金)、物だけにあこがれを持つ、など悪いことではないのですが、それだけだから苦しくなるのです。あなたが苦しいのは生活ではなく、豊かさとは何かをわかっていないに過ぎず、簡単に言うと心の「乏しさ」なのです。

 

人間は不平等です。生まれたときから平等なんてありえません。カウンセリングをしていますから、本当につらい状況に置かれている人がたくさんいるのもしっかり受け止めています。しかし、残念ながら私に出来ることは「自分に期待できる材料を一緒に探す」ことぐらいで、自分自身がやるしかないのもわかっています。

 

私が一人生き残ったら、人を探そうと思います。出来れば、松坂桃李みたいな人がいいです。

そして、何かを整備してずっと使える工夫をしよう。その時に出来る病気の治療法などを書き記しておこう。次世代がまた新しい世界を作れるベースを作っておこう。

生き残ったら贅沢をしようなどと思わない自分でよかったです。でも、あと一人の生き残りは、松坂桃李みたいな人がいいです。(贅沢)